プロローグ
我が家はカレーのことを「ドビー」と呼ぶ。
それは何故か。カレーを食べすぎて「カレー」という言葉が嫌いになったからである。
おそらくドビーは、ハリーポッターに由来し、親しみを込めて呼んでいるものと思われる。
実家ではよく振る舞われる「ドビー」。
大人数で住んでいるために、プラスサラダするだけで満足感が得られ、次の日に残らず、洗い物も鍋ひとつで簡便。良い事づくめの夕飯のメニュー。
しかし、一人暮らしであった場合。非常に運用が難しいものでもある。
今回はこのドビーとの付き合い方について考察するものとする。
ドビーはなぜ一人暮らし向きではないのか?
一人暮らしでも、どうしても時々食べたくなるドビーは、非常にコストパフォーマンスが悪く、現在価格が高騰している野菜を多く使用する。
加えて一人用に作ろうと思っても
「ルーと水を追加して言ったらいつの間にか3人前に......」
と言った、料理初心者による事故もよく散見される。
極めつけには味が単調で、アレンジをするには癖の強すぎるカレー味。どうしようもない。
ドビーはドビー&ライスか、ドビー&うどんか、ドビパンとして処理される他ないのだ。
そうなってくると生活のQOLは劇的に下がる。
食えども、食えども、ドビー。
朝ドビー、昼ドビー、ハーフタイムドビー。夜ドビー。夜食ドビー。
これを脱出する方法を知って運用してこそ、真の一人暮らしマスターと言えよう。
お前がおつよのマスターか?
いえ、違います、人違いですと
サーヴァントドビーが現れようとも、
人類悪顕現ドビーだろうと、
打ち勝って、人理修復の礎となる必要がある。
ドビーに勝たなきゃいけない。
対策を必死に考えた。なんてったって一人暮らしは3年ちかくやっている。ドビーマスターに決まっている。知りたいか?いいだろう、今回は特別だぞ!
対策1
レトルトをあたためて食べる
ドビーを食べたいという欲求を確実に満たし、野菜高騰を難なく乗り越え、かつフルデイズドビーから確実に脱出している。これはいい。
ただお前は甘い。レトルトのドビーと、手ずから調理のドビーは違う。
ドビーに対する愛情が違うんだ。
チンする合間にどれだけのパッションを込められるのか?お前はラップにドビーを飛ばさずチン出来るのか?いや、できないだろう。手間でも湯煎しろ。せめてものドビーへの礼儀というものだろう。
お前は本当のドビーを分かってない。
お前はドビーのなんなんだ。
よってこれは保留。
対策2
ドビーを食べない。
逆の発想。真の英雄は目で殺す。
大好きだからこそ、彼の意思を尊重して背中を押す。これはドビーと私においても同じ。
家で作らなくたって、外食の時に会える。というか実家帰ればドビーと遭遇できるかもしれない。そう信じてドビーと自宅では過ごさない。という「高尚な選択」。
ドビーを諦めたわけじゃない。ただ、ハウスドビーをすることによってドビーとわたしの関係が悪化してしまうなら、いっそ、ドビーと適切な距離を保つために選んだ、ドビーと私にとっての「意思」でもある。
....無理だよ。無理だよそんなの。だって私はドビーが好き。
何年経ってもドビー欲が定期的に現れわたしをて惑わす。
離れたことによって反動でさらにドビーが食べたくなる。もうドビーのことしか考えられない。どうしても今日はドビーな気がしてならない。そうやってまた失敗をくりかえす。
じゃあ、じゃあもうどうしたらいいのか。嫌われ者のドビーになってしまうのか。
そして昼ドビーからずっと考えできた結論がこれ。
対策3
ドビーを作る。3人前。4人前でもいい。
ありのままのドビーを受け入れる。
朝ドビー、昼ドビー、ハーフタイムドビー。夜ドビー。夜食ドビー。
QOLが下がることもまたドビーの一興とする。
どんなに「もうドビーははいい!」と思う
そこまでを1連の流れとしてドビーを食べる。
血液がドビーになるまで。死がふたりを分かつまで。
という記事を書きながらドビーを食べている。ドビパン。
昨日作っていた時に羨ましかったのか、今日は同居人の中国人がドビーを錬成していて可愛いなと思った。世界はドビーで平和になる。ドビー平和記念日。祝日にしよう。
おしまい。