液状化プリン2

頭がキャパオーバーした分をこっちに移行しています

大河嫌いの私が鎌倉殿にハマり、帰って来れなくなった話

大河ドラマを見てほしい」そうラインが来たのは4月中旬のベッドの上であった。一カ月もの間、体調不良で暇に暇を持て余していた私は、今まで見たこともない「大河」というジャンルに手を出すのにハードルが低くなっていたと思う。

もともと世界史のオタクである私は、基本映画やドキュメンタリーで楽しむスタイルをとることが多い。高校もそこまで頭がいいところではなかったから、日本史も近現代のみで、あとはすべて世界史選択というなかなか個性的な学生時代を過ごした。

大河を見なかった一番の理由として、親が見ていた大河は「すぐに切腹する、すぐに死ぬ、理不尽に死ぬ」というものであったから、見ていてあまり気持ちの良い印象はなかったし、そもそも日本人が過去にしてきた、作り上げた歴史というものにまったく面白味を見出せなかった。

「どうせ(事前学習もないし)みても難しくてわからないだろう、でも勧めてきたのは世界史勢の友人、実は面白いのかな」そのような印象を抱きながらダイジェストをみた。

するとどうか。話口調が近現代的で難しい表現が全然出てこない。普通のドラマを見ているような感覚でドタバタコメディな群像劇が目の前にあった。なにより漢検を勉強していたのもあって、字幕で覚えたばかりの漢字がこれみよがしにでてくる。なんだ、面白いじゃないか。そう思って、あっというまに毎週日曜日が楽しみになったのをよく覚えている。

このドラマには大河ドラマを厭悪する要素がすごく少なく思える。それには三つの理由があった。まず一つ目は「言葉の使い方」。二つ目は「専門用語が極端に少ない」。
鎌倉時代に本当にタイムスリップしたら使って話さないような、現代的な表現をふつうに使うので話が頭にはいってくるまでの間に障壁がないように感じた。そのおかげがあってか、鎌倉の鶴岡八幡宮にある大河ドラマ館には想像よりも若者が多かったように思う。
そして三つ目はこの大河ドラマの舞台が「鎌倉」である。ということだ。私は湘南生まれ、湘南育ち。鎌倉という土地が自宅から目と鼻の先にあったということもあって、ものすごく身近な存在だった。しかし、先ほどの理由から歴史的建造物に観光で訪れる機会こそ多くあれど、北条がなんだとか、比企がどうだとかいう深堀りは一切してこなかった。

鎌倉殿を見始めた後の鎌倉は、すべてが聖地になった。
私の知っている寺や神社はすべてドラマの情景が浮かび、感慨深い特別なものとなった。そしてその建造物を今の今まで大切に守ってくれてくれた鎌倉市民の方々に感謝の気持ちさえあふれた。それくらい私にとって鎌倉殿の13人というドラマが及ぼした影響は大きく、大河への嫌悪感を取り除くのに大いに役に立った。

鎌倉殿の13人というドラマに面白さをみいだせるのは、かなり三谷マジックと撮影スタッフ、俳優陣の作品作りへの思いの大きさがあったように思える。

まず三谷幸喜の脚本力。ドラマの制作には「吾妻鏡」を参考にしている。鏡というのは「歴史の真実に光を照らし映し出す」という理由で日本史の歴史書物につけられているらしい。その吾妻鏡はドラマを作り出すにはあまりに足りない要素が多い。また時代的に800年前の資料は戦国時代などに比べるとどうしても少なく、表現や展開として所説あるという部分が多い。過激な歴史オタクとしてはなるべく史実に沿ってほしいと思っているところがある。
三谷幸喜は、空白の多い事実の一つ一つをつなぎ合わせるという作業がうまい。
大河というのは歴史をある程度勉強しておけば、頼朝の死も実朝の子供を作らなかったことも、政子の演説も、知っている周知の事実がある。三谷幸喜はそれを「どうしてそうなったんだろう」と考えて、視聴者の想像のはるか上をいくドラマを毎週見せてくれる。視聴者はそれを面白いと思わないわけがない。
そしてその中にはもちろんフィクションでつないだ部分もある中で「実朝は泰時に思いを寄せていた」という現代では寛容になったクィア的な要素も入れ込み、現代と鎌倉時代とのギャップを描いたりするなど「今」でなければ描けないようなこともぶっこんでくるのである。それを見たときは、あまりに切なすぎて手をたたいて喜んでしまった。

実際、本当のところはどうであったかはわからないが「こうであってほしい」と思えるような展開を自然に描けるというのは本当に天才としか言いようがない。

登場人物に関しても絶妙で、実衣や政子などの鎌倉時代の女子のキャラ立ちが素晴らしい。これはかつて「新選組!」「真田丸」を通して三谷幸喜が苦手としてきた女子のキャラクター作りを女性スタッフに多く取材を取り入れて克服したというところにある。
亀や八重は長い出演期間ではなかったものの強烈なインパクトとメッセージを生き残った政子や義時に残している。

また私の最初の大河の印象としてある「すぐに死ぬ」というのは変わらずあれど、散り際の描き方というのが本当に一つ一つ丁寧で、しかも地獄なことに死ぬちょっと前に必ず好感度が上がるという要素もあって毎週よく泣きながら別れを惜しんだドラマはこれしかないと思う。なんなら死ぬ前から死ぬと悟って泣くように訓練されてしまった。

最後なるが「大河ドラマ」というコンテンツは1年かけて50近くの話数を多くのスタッフによって作り上げている。美術の細かさや、義時の散り際の3日断食など、作品への思いは計り知れない。
視聴者も1年かけて積み上げるエピソードのつながりは日に日に大きくなり、オンベレブンビンバを中のキャラクター達を同じように思い出せなくなったりするのには本当に驚いた。
時間の経過と積み重ねが作品をここまで面白くあたためるのかと知ってしまったいま、「どうする家康」は見ない理由がなくなってしまった。2023年で一番楽しみになった日付は1月8日になった。(脚本はコンフィデンスマンの人らしい)

おわり